6/30/2011

宮城県内のフィリピン人に対するサギップ・ミグランテ・ジャパンの救援活動

 これはサギップ・ミグランテ・ジャパンの二度目の救援活動で、今回は仙台市、気仙沼市、南三陸町を訪問した。

 FMC、PSJ-Nagoya、Gabriela-Nagoya、Migrante-Nagoyaのボランティアは、宮城県に向かう前日の4月28日に集まり、支援物資の分別、梱包、積み込み作業を行った。
 4月29日午前8時、サギップ・ミグランテ・ジャパンの救援チーム(エドウィン・グアリンさん、相原太郎さん、後藤美樹さん、ネストール・プノの4名)が名古屋を出発し、最初の目的地である仙台市へ車で向かった。渋滞のためおよそ14時間かかり、午後10時に仙台市へ到着した。仙台市における地震の影響はさほど目立っておらず、一部のビルはわずかに被害を受けていたものの、住民たちはいつも通り生活しているように見えた。仙台市で私たちが北博さんとリタ牧師夫妻の家を訪れると、東北大学のフィリピン人学生が出迎えてくれた。私たちはその夫妻と学生に被害を受けたフィリピン人との連絡調整の協力をお願いした。というのも、そういった人々の現在の状況を知り、生活復興に向けてのフォーラムや相談会の開催の可能性を探ろうと思っていたからである。

翌日朝食をとった後、私達は津波の被害が最も大きかった気仙沼市へ向かった。向かう途中で被害の様子を目の当たりにしたのだが、それは前回の大船渡市での活動で見たよりもさらに衝撃的な光景であった。

4時間かけて気仙沼市へ到着し、まずはこの地域のフィリピン人コミュニティのリーダー宅を訪れた。そこでは30名以上のフィリピン人(そのほとんどは日本人と結婚している)が私達を出迎えてくれた。リーダー宅はこの地域のフィリピン人救援活動のセンターとして機能しており、60名以上のフィリピン人女性がリストに挙げられていた。幸いにもリーダーの自宅は非常に広かったので、彼女らの子どもも含め全員を収容することができた。

私達は彼女らから地震による衝撃的な経験を耳にした。一人のフィリピン人女性とその夫が亡くなり、あるメンバーは夫を亡くし、4名は家を無くし、その他の多くの人は財産を失った。そしてほとんどのメンバーが海産物の缶詰工場で働いていたため、仕事も失った。一人のフィリピン人女性の子どもは依然行方不明である。この団体について私が感心したことは、各自過酷な状況下にいるにもかかわらず、非常に前向きであり、お互いを助けようと全力を尽くしているということである。この団体は私が今まで見てきた中で最も活発であり、よく組織されていた。すべての支援物資には、行き先の名前がきちんと書かれ、公平に分配されていた。支援物資を手渡した後、何百人もが避難している体育館へと向かった。ちょうど、子どもたちのための映画上映が行われるところだった。私達はそこで避難生活を送る2人のフィリピン人女性と会うつもりであったが、ちょうどそのときそこにはいなかった。私達はもっとたくさんのお話を伺うために長く滞在したかったのだが、次の場所で別のフィリピン人団体が私たちを待っていたため、その場をあとにした。

 2時間後、私たちはベイサイドアリーナという避難所に到着した。そこは非常に大きな体育館で、事務所が津波で流された役場自体も避難しており、多くの自衛隊のトラックや救急車、メディア関係の車もあった。12人のフィリピン人女性が私たちを迎えてくれたが、彼女たちはそこで避難生活を送っているのではなく、救援のための待ち合わせ場所として利用していた。ベイサイドアリーナには身元不明のフィリピン人女性と思われる遺体が1ヶ月以上保管されており、彼女の夫も未だに行方不明であった。彼女の友人が遺体を確認したが、確証がないため身元不明と判断されている。現地のフィリピン人グループのリーダーがフィリピン大使館に問い合わせたところ、大使館としては遺体の火葬を許可し、必要な書類を準備することになるだろう、と述べたという。私はフィリピンにいる彼女の親族について尋ねることができなかった。私たちは支援物資を積み下ろし仕分けした。私はフィリピン人女性に何回お礼の言葉をかけられたかわらないほど感謝された。なお、そのうちの何人かは臨時の仕事を見つけており、物資を受け取った後、急いで仕事場に向かっていった。


※私たちが今回の救援活動の際に受けた要望
地震で紛失したパスポートの再発行、フィリピンへ帰国するための往復航空券(国際移住機関(IOM)が提供したのは片道航空券のみであった)、仕事、自転車

※今回私達は「サギップ通信」(アナウンス、最新情報などに関する情報を収集したもの)を配布した。

なお、私たちの今回の活動の目的のひとつに、フィリピン人をサポートする現地の団体(特に被災者に必要な生活情報に関して協力しあえる団体)とネットワークを作るということがあり、仙台国際交流協会との面談の予定を作っていた。約束の時間に大幅に遅れてしまったにもかかわらず私たちのことを待っていてくださった。仙台国際交流協会(SIRA)はサギップ通信の配布を快く引き受けてくださり、フィリピン人向けの情報誌「ピノイ・ウイークリー」も合わせて受け取っていただいた。私たちも仙台でのコーディネーターの一人として一人のフィリピン人学生を協会に紹介した。

こうして私たちは今回の活動を終え、午後8時に仙台を出発、翌日の午前8時に名古屋に到着した。


※名古屋に戻ってから、被災地にいるフィリピン人から電話で様々な問い合わせ、救援の依頼が来ている。

※パスポートの再発行に非常に時間がかかっており、フィリピン大使館には、被災者への迅速な対応を求めたいと考えている。また、被災して紛失したパスポートの再発行を無料にすることも合わせて求めていきたい。

※被災者に必要な多くの情報が流れているが、そのほとんどが日本語であるため、フィリピン人に届いておらず、情報の入手ルート自体がないというのが現状である。